ぜんまい仕掛けの宇宙船

−三文小説家見習い・小倉洋の作品置場−

女の子だもん

「オートバイは自由の翼だわ」
 まだ少し朝もやが残る山間《やまあい》の、緩やかなカーブが続く道。木々の間から溢れる早朝の陽の光と濃緑が織りなすグラデーションの中を、次々と現れるカーブを右手のアクセルワークだけで「タタタッ……」という歯切れ良い排気音を残しながらスムースにこなしていく彼女は、ヘルメットの中で小さく呟いてみた。
 九十九里町片貝漁港近くにある自宅をまだ暗いうちにあとにした彼女は今、内陸にある大多喜町の山間部を走っている。

 小さな左カーブが現れた。
 タイミングを見はからいアクセルを戻し、右つま先でリアブレーキペダルを軽く踏み込む。減速のためではなく、フロントブレーキをかけたときに車体が一気に前のめりになるのを防ぐための操作だ。
 右足にわずかに遅れて、右手の人差指と中指でブレーキレバーを絞り込む。左右の手のひらの中のハンドルバーはヒヨコを包むように優しく握っているだけだ。減速で前に飛び出しそうな彼女の上半身を支えているのは両腕ではなく、しなやかで力強い彼女の背筋とフルに動員された腰から下の筋肉達なのだ。
 そして、左手の人差し指と中指でクラッチレバーを握った瞬間、左つま先でチェンジペダルを一つ踏む込み、右手のアクセルグリップを軽く煽ると同時にクラッチレバーを開放することでシフトダウンが完了する。

 アウト側の膝でガソリンタンクを抑え込む。イン側の膝は僅かに力を抜き気味にして、足はステップを内側に蹴り込むように左右のバランスを崩してやることで車体を傾けながら、彼女は小さな身体全体を使ってカーブに飛び込んでゆく。道路のイン側には30cmほど余裕を持って寄せる。道幅いっぱいにギリギリまで詰めた走りをすれば浮き砂や落ち葉などで足元をすくわれ、スリップダウンという手痛い洗礼をくらうことになることを、既に経験値として彼女の身体は覚えている。
 自分がイメージしたラインの中で、最もインに寄ったところでアクセルを開けると車体は起きはじめ、直立したあたりでアクセルを大きく開けると、オートバイはそれ自体が意思を持った動物のようにコーナーを立ち上がり加速していく。彼女の視線は既に次のカーブに向けて注がれている。

 言葉にすれば長く複雑なこの一連の動作を、彼女は瞬きする間に淀みなく終えていた。右に左にカーブを切り返す彼女の姿は、ステップの上でスローな楽曲、たとえばワルツを踊っているような錯覚を見る者に与えるほどリズミカルで美しい。
 若い頃にアマチュアレースに出場していた父親の影響でオートバイに乗り始めた彼女だが、スピードを突き詰めるレースよりも、自然の中で自分を感じ、往く先で人との出会いを楽しめるツーリングの方が自分の好みに合った。もちろん、旅先で巡り合う様々な美味しいものも重要な要素であることは言うまでもない。
 それでも、丁寧に一つずつカーブをこなしてゆくこの瞬間は彼女の大好きなひと時であり、これこそがオートバイライディングの醍醐味だと感じている。

 初夏の早朝のソロライディングを堪能した彼女は峠を降りると、町外れにあるコンビニの駐車場に愛車を乗り入れた。エンジンを停止し、ヘルメットを脱ぎ、それをオートバイのミラーに掛けた。緊張から開放された彼女にとって、わずかに頬を撫でるだけのそよ風さえ心地よかった。

icecream

 店に入るまでは、冷たく冷えたアイスコーヒーで緊張と身体の火照りを鎮めるつもりだった。そう、店に入るまではそのはずだったのだ……
「へへへ、女の子だもんね」
 そう言うと彼女は、鼻の頭に付いたソフトクリームを人差し指で拭い取り、可愛らしい舌先でペロリと舐めた。


【あとがき】
 こんにちは。三文小説家見習い・小倉洋《おぐらよう》のショートショート第三作目です。
 この作品は内容とタイトルはあまり関係なくて、むしろ、『彼女』に最後の一言を言わせるためにこの曲をチョイスしたのかも知れません。


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 作品の内容は、筆者の趣味であるオートバイ、そのライディングシーンを『文字化するとどうなるのか?』という単純な疑問から生まれた実験作です。これまでにも多くの作家さんがチャレンジしているものなのですが、自分の中にいる『ライダーとしての自分』が「いつか自分も書いてみたい」と思い続けていた部分であります。
 如何でしょう。普段はオートバイとは全く縁のない女性がこれを読んで、まるで自分が操っているような気分になってくれたなら、実験は概ね成功と言っても良いのではないでしょうか。
 そして、その中から一人でも実際にオートバイに興味を持ち乗ってくれる『彼女』が生まれたなら、筆者の実験は大成功なのであります。

 少しだけタイトル曲の『Girls just want to have fun』を歌うシンディ・ローパー(Cyndi Lauper)について書いておきましょう。
『七色の声』(Rainbow Voice)の持ち主として有名なシンディは、動画の中ではフラッパーな典型的ヤンキーガールを演じていますが、実は大変に義理堅く人情にあつい親日家としても知られています。
 シンディがメジャーデビューする前のこと、売れないバンドのボーカルをしていた時代に、タダ飯を食わせてくれサポートしてくれた食堂のオーナーが日系人だったそうで、日本と日本人に好意を持っていてくれたとか。
 そして日本人にとって忘れられないあの311の大震災の後、多くの外国人アーティストが次々と来日をキャンセルする中で、彼女は自ら望んで来日し、チャリティコンサートまで開催してくれたそうです。
 大層な男前じゃないですか。

尚、本作品は、カクヨム様(https://kakuyomu.jp/)でも公開させていただいています。

では、次の作品でお会いしましょう。