ぜんまい仕掛けの宇宙船

−三文小説家見習い・小倉洋の作品置場−

クソったれな気分

 彼女はこれまでの人生で最低最悪な土曜の朝を迎えていた。
 太陽はすでに高く昇っている。エアコンがタイマーでオフになったせいで、肌は薄っすらと汗ばんでいる。昨夜は幕張の自宅に帰り着くや乱暴に服を脱ぎ捨て、化粧も落とさず飲み始めた挙げ句に、不覚にもそのまま眠ってしまったらしい。しかも、二日酔いの頭痛という嬉しくもないオマケまで付いてきた。

 ヘッドボードに置いてあったタバコのパッケージから一本抜き出した彼女は、愛用のジッポーで火を点けると大きく吸い込み、そして薄紫色の煙を溜息とともに吐き出す。すると急にムカムカしてきた。
「このムカつきは二日酔いのせいだけじゃないわね」
 タバコの煙の向こうに昨夜別れた男の顔が浮かんできそうな気がして、点けたばかりのタバコを慌てて灰皿に押し付けた。

 這うようにして浴室へ向かい、汗と化粧で汚れたシーツとピローカバー、身に付けている下着全てをを洗濯機に放り込むと、彼女は洗面台の鏡に映る泣きはらした自分の顔を虚ろな目で見つめながらボソリと呟いた。
「ひどい顔――」
 シャワーを終え、ダークブルーのタンクトップとショーツだけを着け冷蔵庫の前に立ち、その中から凍る寸前まで冷やしたバドワイザーを慣れた手つきで二本掴むと、魅力的なヒップでドアを閉めた。

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「健全な精神は健全な肉体に宿る。そして健全な肉体は健全な朝ごはんからよね」
空元気からげんきを絞り出した彼女は、ベッドを背もたれにしてローテーブルの前であぐらをかくと、バドワイザーのプルタブを勢いよく引き起こした。

 昨日の夜、都内で彼と会っていた。家を出るときから予感めいたものを感じていたのだ。そしてそれは的中した。

 弾まない会話
 交わらない視線
 よそよそしい笑顔 

 そんな恋人同士の行き着く先は、いつだって些細なことからの罵り合いと「さようなら」の捨て台詞だ。

 昨夜から点けたままになっているラジVOA*1からは、ライ・クーダーの『Feelin' bad blues』が流れている。
(――うわっ、朝からなんて曲流してるのよ――)
 曲のタイトルどおり、今朝は最高に『クソったれな気分』だった。再び彼女はパッケージからタバコを一本抜き取りジッポーで火を点けた。
「やだ、目にしみるじゃない」
 テーブルの上の小さな鏡を覗き込み、赤い目をしたスッピンの自分に向かって先ほどと同じ言葉を呟いた。
「ひどい顔――」
 そして、その朝二本目になる『朝ごはんバドワイザー』のプルタブにゆっくりと指をかけた。

 


【あとがき】
 こんにちは。三文小説家見習い・小倉洋おぐらようショートショート第二作目です。 

 『クソったれな気分』はライ・クーダーRy Cooder)の『Feelin' bad blues』にインスパイアされた作品です。
 筆者は『Feelin' bad blues』を聴くといつも、頭の中では西部劇に出てくる酒場の前のカラカラに乾いた埃っぽい道を一陣の風が吹き抜けていきます。だから敢えてウェットな別れ話と絡めてみました。


Ry Cooder - Feelin' Bad Blues

 現実にこんな女性が居るかどうかは、生憎と女になった経験のない筆者はただただ想像するしかないのですが、「女も長くやってればこんなクソったれな気分の時だってあるんじゃないかしらん」と妄想するわけですよ。
 女になったことはない筆者ですが、日々、作品を産み出す陣痛に悶絶する筆者でもあります。

 ところで「彼女」は、男と別れた悲しみからのやけ酒で泥酔してしまったのでしょうか? それとも……泥酔するから男にフラれたのでしょうか?
 その辺の事情は「彼女」の名誉のためにも筆者は言及しないでおきましょう。あなたの想像にお任せします。

 尚、本作品は、カクヨム様(https://kakuyomu.jp/)でも公開させていただいています。

*1:Voice of America 米国の海外在住者向け国営放送 昔は『FEN Far East Network 極東放送』と呼ばれた